□ 例え、君がいなくとも □



 消えてしまった感触は、自分勝手な後悔でしかなかった。
この手に残る、肉を断ち切る嫌な触感がいつまでも僕の精神を責め立てる。


 いつだったか、桜が綺麗に舞い散る季節に。
君は微笑みながら、絶対的な力を窺わせる口調で、僕に命令を下した。
情けない男だと思っただろうね。
僕の手は震えてしまって、差し出された短剣すら握れなかった。
嫌だ、と僕が言ったところで、君の絶望も願いも変わらない。


 君の願いは一つだけ。
君が想うのは一人だけ。
膨らんだお腹を擦っては、涙を流して嗤っていた。
要らないの、と何度も繰り返し呟いて、憎しみの籠った瞳を僕に向ける。
僕の犯した罪は、君を消滅へと誘(いざな)った。


 僕を見てくれない君が憎くて。
何れだけの月日が経っても、いない相手に想いを寄せる君に焦って、躯を無理矢理に支配してしまった。
そして、授かったのは新しい命。


 君は、僕と胎児を心底嫌った。
だからこれは、復讐なんだろうね。




 音になった言葉は、宙に舞って、僕の脳へと着地した。

「殺して下さい」

躊躇いもなく、君の口から発せられた其れは、凛として部屋中に響き渡る。

「拒否権はないと、心得ておりますわよね?」

僕の好きだった微笑みを浮かべている君は、とてつもなく遠い場所にいた。
君の手に握られた短剣が、僕の目の前に差し出されても、僕は握ることすら出来なかった。

「こんな汚れた躯など、要りませぬ。こんな汚れた子供など産んではならぬのです。さあ、一思いに刺しなさい」

目に見えて震えている僕の手を取り、君は短剣を僕の手中に忍ばさせた。
掌に掛る短剣の重さ。
嫌だ、と伝えるように無言で首を左右に振る。
言葉は出てこなかった。

「何を躊躇うのですか。貴方の、責任です」
「姉さ……」

辛うじて溢れ落ちたのは、慣れ親しんだ呼び名。
彼女の細長い指が、短剣の鞘を抜き去り、現れたのは銀色の刀身。
僕の手に君の手が重なり、導かれるように刃先を腹へと向ける。
目を瞑った。

「……っ、ぁああ」

君に操られるままに僕の手は動き、刃が躯に埋まっていくのが感触で解った。
悲鳴を堪えるかの如く放たれた微かな呻き声が、僕の体を貫いていく。
震えが止まらない。
でも、許してくれない。

「ぬっ、抜き……なさ、い」

僕は言われるまま彼女の躯から短剣を引き抜いた。
やっとの思いで瞼を開ける。
白い着物とシーツが真っ赤に染まっていた。

「あり……が、と」

荒い息の中で微笑み、君は僕にそう遺した。
そして、気を失ったのか動かなくなり、何れだけの時間が経ったのか、出血多量で息を引き取ったのだ。




 あれから、何年も経った。
僕はまだ塀に囲まれた牢屋にいる。
死を宣告されたのにも関わらず、まだ生を持っている。
自ら死ぬことは許されず、毎朝鳴り響く足音とお迎えを心待ちにして今日も生きながえるのだった。


 僕の罪は死して尚、消えはしないだろう。
君がいなくとも、僕の心は未だ君だけを望んでいるのだから──




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